ロバート・ライシュの「超資本主義」を読みました。CSR系では必読書??の一つとのことですが、これまで読まず…反省しております笑 以下、読んで感じたことをつらつらと。

消費者と投資家が絶大な力を行使する超資本主義。消費者は多様な選択肢から商品を選択する反面、過剰な競走状況を形成、投資家は企業に過酷な利益追求を行っていく。その結果、企業はあらゆる施策を通じて対応、時にロビー活動への巨額の資金投入を通じて政策への影響を強め、民主主義を脅かす。この侵攻を食い止めるにはまず民主主義と資本主義の境界線を見極めなくてはいけない。また、CSRへの賞賛や市民社会の批判の矛先も、この境界と照らし合わて再考する必要がある。このあたりが主旨かなと思います。

面白いなと思ったのは、企業の人格化の否定、です。今だに多くの人々が企業があたかも「人」であるかのように期待をしている。企業とはあくまで株主価値の最大化、利益の追求を目的としたものでしかないし、それを認めることが重要。そこから資本主義と民主主義の境界を見極める作業が始まるということだと理解しています。

 

特に頭の中の整理をしているわけでもないのですが、本著では語られていない、けれども個人的に大切だと思うことをいくつか挙げて、本著の内容と照らし合わせていきたいと思います。

一つ目は、超資本主義のルールを変える消費者と投資家の台頭についてです。「社会的消費者」というと抽象的ですが、その先にある「消費者による企業を淘汰する投票」という姿を見ている人、企業が増えてきているなと感じています。単なるマーケティング戦略を超えて、市民への啓発的な側面を身に付け、今後の社会に必要とされる企業として選んでもらえるよう努力する。その際の「社会的」の捉えからによっては、この超資本主義のルールを変えるだけの可能性を持っているのではないかと感じています。

また投資家についても、SRIなどの議論は非常に限定的なように感じました。社会的投資についても、既存の株式市場にESG要素を統合するだけでなく、NPO金融やインパクトインベストメン、いわゆる「ソーシャルビジネス」ト等の潮流を含めた議論が必要になってきているように感じています。「投資家」に多様性が生まれてきたこと、その一部にはある種民主的なプロセスを資本主義に統合しようとする向きもあり、その点ではライシュの議論とは相反する部分のような気がしています。この新しい消費者と投資家の台頭についてライシュはどう思っているのですかね??

 

二つ目は、企業という組織体だけでなく、その中の個人と組織のダイナミックさをどうとらえるかという点です。ライシュは企業を株主価値の最大化、営利追求を目的としたものとして描き、その人格化を否定しています。しかし、その中に存在する個人や組織の人格を無視して、企業の目的と均一化してしまうことは議論の本質を得ているのかというと、私はそうではないと考えています。

こうしたCSR等の話では、資本主義というStructureと、その中のAgentとしての企業という構図に成りがちですが、私はさらに、Structureとしての企業とAgentとしての個人という多層性が存在していると感じています。普通の人からしたらこんなことは当たり前なのですが、「頭のよさそうな」議論になればなるほどこの視点は抜け落ちていくような印象があります(あくまで印象です…)。個人は企業とは時に違うロジックで動いていて、そのロジックと企業のロジックをどう折り合いをつけているのか、このあたりの視点は超資本主義というテーマにおいても重要だと考えています。

 

なんか、書きたいことは他にもたくさんあるのですが、今日はここまでで。また後日続きを書きます。