インターンが始まってすでに三週間が経ってしまいました…インターンの仕事もそうだけど修論大丈夫だろうかと迫りくる文字通りのデットラインにおびえております。今週は日本からのゲストを迎えて連日のワークショップなのですが、4つのプレゼンを含む一通りのタスクは今日で終わり、明日は農村地域への調査に行ってきます。やっぱり日本語よりも英語のディスカッションの方が将来的には向いているのではないかと自身の受けた大学教育に改めて感謝している次第です笑

そう、ブログでドリシテのことを紹介したいと思ったものの、何となく色々書きにくいこともあり、書きたいことはあるのですが、もう少し機会を見計らって書きたいと思います。

 

ということで、何を書こうと思ったのですが、藤井さんの最近のブログの内容がとても面白いなと思ったので、今日は企業にとっての「ソーシャルイノベーション」や「社会起業家精神」って何なのかということを考えてみたいと思います。

前にもちょっと書いた通り、「ソーシャル」は何かという話にはあまり興味がないのですが、藤井さんのブログの「新しい方法での社会の市場化」というのはとてもしっくりきて、「そうそう、そうなんだよ」と思いました。偉そうですいません…笑 (藤井さんの書籍はもう何年も前から読んでいたのですが、これまではこうしたテーマとは一線を画していたように思っていたので尚更興味深く拝見しています)

この辺りのテーマを研究したい(研究なのか仕事なのか分からなくなってきたけど)と思ったのは、企業が社会的課題の解決に取り組むための経済的なインセンティブをどう作れるか、社会へのインパクトを企業の合理的な意思決定にどうすれば組み込むことができるかということを学部生のころに考えていたからです。その時の興味を言いかえれば今回の「新しい方法での社会の市場化」であり、その新しい方法とは何だろうというのが今の研究テーマのような気がしています。

途上国低所得層という市場化されていない社会を市場化していくための「新しい方法」として着目しているのがハイブリッドモデル、社会的企業とのパートナーシップを中心としたビジネス生態系に関する研究です。通常のビジネスではリーチできない所得層、遠隔地域、機会の欠如にある人々にリーチするためには、通常のビジネスの外に半身を置かなくてはいけないかもしれない、その外にいるアクターと手を結ばなくてはいけないかもしれない。それは分かるけどじゃあどうやって、というところをまとめていくのが取敢えずの修論の予定です。今ドリシテでもこの辺りの話のお仕事に携わらせてもらっており、昔の話やこれからの話も聞けて本当に勉強になります。ブログで書けないことも、最終的には修論に載せれればと。

ちなみに「途上国低所得層という市場化されていない社会を市場化していくための「新しい方法」」という一文を凄くネガティブに捉える人もたくさんいるのかもしれませんが、そこについても今度、自分の思うことやドリシテのスタンスについて書いてみたいと思います。

 

そう、それに関連して最近自己紹介とかで使っているフェーズが自分の興味を象徴しているなと再認識しました。

「Ive been interested in how corporates can get into the social entrepreneurs field as a long term strategy. Ive been researching inclusive business at the base of the pyramid, and Ive worked for evaluating corporate social responsibility performance of Asian companies. So now, I would like to see what can be the bridge between social sides of corporation and  social entrepreneurship on the ground, and what the convergence of these two movement create as a form of business and a way to solve societal issues」

こうしてドリシテでインターンしていたり、BOP系のことをずっと研究テーマとして扱って来たわけですが、元々「企業が社会的課題の解決に取り組むための経済的なインセンティブをどう作れるか、社会へのインパクトを企業の合理的な意思決定にどうすれば組み込むことができるか」というところに関心を持っていたため、数年間SRIアナリストのお手伝いをさせていただいていた背景があります。自分にとって、やはりこの二つは切り離せないもので、この二つの間に「新しい方法で社会を市場化する」ためのヒントが隠されていると思っています。